気づいて知る力「観察力と洞察力」それらに影響を与える「主観と客観」


仕事でも遊びでも、観察や洞察は、いろんな判断をするために、誰もが当たり前のように無意識に行っている生活の中の行為です。意識して行う事もありますが、なかなか奥が深い・・・ その能力の差は人それぞれです。


他人の事や世の中の様々な事についてもっと詳しく知りたいと思うことは色々とあります。けど、そういったものをただ眺めているだけじゃ表面しか見えていないし、注意して見ているつもりでも大切な事には気づかないままに終わってしまう事があります。そうです、自分の力で真実に「気づいて知る」ということは、なかなか難しいことです。


物事の真実の姿に気づいて知るためにはまず、観察力といった能力が必要になります。そして次に、その観察によって集められた情報を、洞察力によって直感と論理で判断して行き、表面には見えないものや、そこから先にあるものを読み解いてゆくといった順番になります。

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主観と客観



物事を見極めていく際、よく使われる言葉に、「主観」と「客観」という言葉があります。べつに特殊な言葉ではないわけですが、自分としてはあまり馴染みが無くよく知らない言葉だと思う方々も多いのではないでしょうか。


主観とは、
「自分の目線から観ている状態」です。なので、自分の持つ価値観や感情で物事を観て受け取ったり、相手に差し出したりする事です。自分に対する損得勘定や思い込みなども含まれているので、私心がある状態とも言えます。


客観とは、
「自分が観ているんだけど、自分の目線では観ていない状態」です。これは、他人の目線や大多数の人の目線で観る状態だとも言われたりしますが、自分の価値観や感情を一切含めず、とても冷静に観ており、まったく私心がない状態とも言えます。

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気づいて知るためには客観的な自分が必要



少しそれますが、いにしえの時代に観音様が、この世の観察を行い続ける事で、ようやくこの宇宙の真実の姿を知る事となった話しを「般若心経」 強く生きる為の究極の知恵(囚われのない心)で触れていますんで参考までに。


話しを戻しまして、観察から始まり洞察していく中で、より真実に近い答えを見つけ出すためには、客観的な考え方ができなくてはいけません。自分の事ばかり考えている私心のある状態では、他人や世の中の真実に気づくことは程遠いということです。


言い換えれば、何かを観察している途中で、「そうに違いない」などと、自分の思い込みや感情が入った時点で観察は失敗に終っている可能性があります。客観的に物事のありのままの姿を見つめることが観察であり重要です。


そうできない場合、観察は日常的に自然に行われている事なので、人生も自分の思い込みで塗り固められたものになってしまっています。


私心のない客観的な状態で観察を続けることが大切だと言ってきました。そうすれば自然と真実に近い情報が自分の中に飛び込んでくるはずです。そしてそれを洞察して自分なりの結論へと持ってゆくのです。


私心を持たないという状態が解りにくい場合は、自分に合った呼吸法や瞑想を続けることで、集中力が増して雑念が減り理解ができてくると思います。


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