他人に対する考え方を変える時「愛と力」


みなさんは考え方を変えることができる人ですか?僕は考え方を変えることができます。


と、言うよりは必要に応じて考え方を変える為の心の準備があるといったほうが正しいかもしれません。


しかし、考え方などは誰しもが、そうそう簡単には変えられるものではないことも分かっています。


僕が考え方を変えなきゃと思うのは、正しく生きなければならないという想いが根底にあるせいなのかもしれません。


はたまた、人はどれだけ人生経験をこなし歳を重ねても極めるということなんて有り得ないという思いからくる探究心と向上心なのでしょうか・・・

え?

「寺にこもって修行僧にでもなれよー」というヤジが一瞬聞こえてきたような気が・・・(笑

人を傷付け、人に傷つけられ、俗世間に生きる毎日も、修行の連続ですよね。

分かってるようで分かっていない、他人への配慮



「人生は修行」と言う言葉。ふと冷静に考えた時にそう思えない人は、もしかするとどれだけ歳を重ねようとも原因や責任の所在を他者や自分が置かれる環境に求める傾向が強くあるかもしれませんね。


他者にも原因はあるかもしれませんが、たとえどんなに道徳心を持って生きる人であっても、自分にも十分に責任があったりするものです。悪意はないが「気づかない」だけでしょう。


そうやって人は互いに傷付け合ったり理解し合ったりします。当たり前の事を言ってますが、時に人は周りが見えなくなってしまい、エゴというものに支配されてしまう時があります。


僕は、自分の間違いに気付いたなら、素直に軌道修正を試みます。自分の心の持ち方を変える訳ですから、試行錯誤しある程度の期間も必要とはしますが。


人によっては、何かとてつもなく大きな衝撃を受ける出来事があった時など、一瞬にして考え方が大きく変わるというような事もあるかもしれませんね。


自分に責任を追求し過ぎ、自分を責め過ぎるのも良くないですし、自分の何が原因で他者を傷つけているのか解らない、あるいわ、傷つけていることに気づかない時もあるでしょう。


このようなこと、特に考えない人もいるでしょうし、ごく当たり前のことだと感じる人もいるでしょう。自分は我が強いなと思うような人にこそ考えてみていただきたいと思います。

人として何が正しいのか解らなくなった時の簡単な物差し



ひとことで言うと、「自分の為なのか?他人の為なのか?」と、言う事になるのですが。


すべてに当てはまるという訳ではないですが、他者に対して、どこかで何かが足りなかったりするはずです。


その何かとは大まかに言えば、他人を思う気持ちの欠如である場合が多いと思います。他人のことに気づいてあげられる事が必要となります。


相手の表面に見えるものだけが、その人の全てであるとは限りません。


その人にどうゆう経緯があってその様な態度をとるのか? または、どういった意図がありその様な言葉を口にするのか? 怒りなどのマイナスな感情や言葉であろうとも、その裏には愛情や思いやりが込められている場合もあります。


相手の心に気づいてあげる為には、どうしても「想像力を働かせる」という事が必要となります。


互いに相手の立場や事情など、相手の身になって考え想像し合うことですね。


当然と言えば当然です。


他人に対して自分が過ちを犯していることをどのように知ればいいのか? その過ちをどのように避ければいいのか?


マーク・フィッシャーの著書の物語の中の登場人物、謎の女性メイトリの言葉を紹介します。

ひとつひとつの考え、ことば、行動について、自分自身にこう問いかけなさい。


これは愛から出ているのか、それとも力からなのかと


自分が力ではなく、愛によって行動しているかどうかを知るには、いつでも内なる声を聞くこと。あなたがそれを聞こうとさえすればいつでも聞けるはずよ。


人は無知のせいで、大切なことに気づかないでいるのよ。


他人に対する行いは、自分に対する行いである


いつも心にとめておいてほしいことがあるの。権力に飢え、他人を害する者は、自分自身をも害している、ということよ。


そうした人間は結局、わけのわからぬうちに、すべてを失ってしまうことになるのよ。


それに対して、すべてを与える者は、想像もできないほど多くの宝を授かることになるの。なぜかと言えば、与えれば与えるほど、受け取るものも多くなるからよね。


これは例外の無い宇宙の法則と言ってもいいわ。




日本能率協会マネジメントセンター 1992年
マーク・フィッシャー著
成功の絆 ~不思議な愛の物語~
P88~P90より


内なる声



この内なる声とは何か・・・?


わからない時は、瞑想を行い心を鎮め、今この時に生きるという事を感じられるようになった時、自分の中から内なる声が聞こえてくるはずです。


人は人生の中で、「なぜだろう?」とゆう自分では意図しない孤独感を感じる時、大切なものが必ず欠けているはずです。


そして、「愛」とはなにか? まず、自分の気に入った人達に対してから学び始め、それが段々他の人達にまで広がってゆく。


どうでも良いことは捨て置きながら、自分の余計な荷物を軽くしつつ、この世で類まれな大切なもの「愛」というものを、ひとつひとつ拾いあげて行く必要があるのではないでしょうか。時には無条件の愛も必要です。


人が他人に対する考え方を変え、無条件に相手を受け入れようとする時には、傷つくことを恐れない勇気と強さが必要となるかもしれません。


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