それ本当に諦めていいの?(諦めない人だけが不思議な力に導かれる)


失礼いたしました。いきなりお節介な質問を投げかけてしまって・・・


けど、今考えてるそれって、本当に諦めていいんでしょうか?


「諦めない」って、ありきたりのアドバイスだなぁ~って思った方は諦めやすい方なのかも!? もしかすると、諦めないことで起こる魔法の力を体験されたことがないのかもしれません。


こう言ってしまうと大袈裟に聞こえてしまうかもしれませんが・・・


事実、諦めない人はお気づきだと思いますが、単純に努力の結果だったと言って、ひと言だけでは終わらせることのできない様な偶然なんかがあったはずです。

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気持ちよく諦められないものは、とことんやる



諦めない方には、何かしら不思議な導きがあったのではないでしょうか? 気づきや閃きとか、ヒントを与えてくれる人や物に出会ったといった様なことです。


それは、いつやって来るのかも分かりませんし、いちいち気に留めるような事をしなかったかもしれませんが、諦めない限り必ずやってくるはずです。少しずつかもしれませんけど、真剣に考えている限りはそういった導きがあるものです。


僕は記事によく同じようなことを書いています・・・


読者 「それってネタがないんだろー!?」
僕 「ブッブー!X」
まあ、当たらずしも遠からずということで(笑


ごく当たり前の事でも、大切な事だと思うから訴えかけているわけでもあります。興味だけで終わることや、わかってはいるが自分の血となり肉となっていないのでは、まったくの無意味だと思います。


話し戻します。今、世の中にはこんな心境の人が数え切れないほどいるんじゃないのかな?って思って、ふとその時感じたことを書いてるのですが、今だけが人生のすべてじゃないよにも書いた、新約聖書 マタイの福音書7章7節で有名な言葉です。諦めないでいるとこういった事が起きます。


求めよ、さらば与えられん
尋ねよ、さらば見出さん
叩けよ、さらば開かれん


求めて尋ね続ければ、ヒントや答えを与えられ、そして積極的に動き門を叩き続ければ、いずれ門は必ず開かれる。


悩む事は大切ですよ。けど、間違ってはいけないのは、答えが出ないことを悩むのではなく、答えを求めて前向きに悩むんです。そして門というのは、開いたり閉じたりするものですから、必ず開くものなんです。叩くのを諦めたら、ただ閉じたままで終わります。


聖書にもこういった教えが書かれてあると言う事ですけど、諦めない人が体験する不思議な魔法の力がこういった形で書かれています。

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魔法の言葉「アキラメナイ」を唱え続けよ!



当然の事を付け加えますが、諦めたくない対象が人物であれば相手の迷惑も考えなくてはいけません。はやる気持ちは抑えてアプローチの仕方を良く考えなくては相手を苦しめることにもなりかねません。


人に対するアプローチの仕方などは、みなさんご存知の「北風と太陽」の話しを参考にしたアドバイスなどもありますよね、ご注意を。


自分を一歩前進させるためには諦めないことが大切です。その結果、自分の才能や自分らしさの発見、人によっては社会貢献につながります。人々の諦めない気持ちが、今日を築いて来たという事実を忘れてはいけません。


実際は、一歩ずつ答えに向かっているのに、その事に気づかず途中下車することを「諦めると」呼びます。


人は、自分が考え行動してきた回数や期間にばかり囚われ、考え尽くしてきたその歳月のわりには結果や答えが出ないことに失望し苛立ちや諦めを感じたりします。


本当の幸せは簡単に手に入るものばかりではありません。


投げ出すのではなく、今の自分にはここまでが限界なんだといったん認め、いちど区切りを入れてみてはどうでしょうか? そしてまた、新たな気持ちで精進し学び考え始める。


僕の場合、限界を感じたらいつもこのようにしてモチベーションを保っています。


「サイは投げられた」は良いですが、「サジを投げる」のはお待ちを。


「アキラメナイ」を唱え続け、そして不思議な力に導かれてみてください。


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