情報と問題が蔓延するネット社会の中での「人間力」

便利さが生む慌しさ



コンピューター技術の発展により、情報技術なども急速に移り変わってきた事で、とても便利な世の中になってきました。


しかし、その便利さの反面、それに伴う問題やストレスの蔓延にも気づいているのではないでしょうか。


様々な処理をコンピューターが行いはじめ、それが一般家庭にまで普及し便利になった反面、そのコンピューターの速さに応じて自分たち人間もついていかなくてはならなくなっています。


便利過ぎるが故に生まれるストレス。息抜く時間も減り、余裕の少なくなった忙しく大変な時代になってきています。スローライフを求める人達が増えるのも当然のことですね。

ネット社会の裏に潜む危険



ウイルスによる個人情報の流出や、誰かによって意図的にバラまかれる個人情報の問題。


いまさら言うまでもありませんが、知りたい情報に関してもネットで調べれば、溢れんばかりの情報を得ることが出来ます。間違った情報などもたくさんあるでしょう。


それらはある程度有益な情報が得られるようにと、Googleなどの技術で絞り込まれてユーザーに提供されてはいますが、その中からさらにどの情報を選ぶかはユーザー本人の判断に任されています。


メールやチャットを使った出会いやコミュニケーションなどからはじまり、今ではSNSを利用した出会いもあり、いつどこにいても日本中はおろか世界中の人々と、手元の操作だけで出会うことができる。


簡単で楽しい半面、簡単に自分自身を危険の中に投じることも出来てしまう。ごく普通のリアルな人との出会いにも、危険が潜む可能性はありますが、沢山の人々と出会えるという事は、良い人だけではなく、悪い人に出会う確立も高まるという事になってしまいます。


文字を使ってのコミュニケーションは特にそうですが、初めて出会った相手の言葉でも少しでも共感を覚えてしまうと、見たこともない相手なのに一気に相手を信じ込んでしまうとゆうようなことが人間心理の中で起きてしまう事はよくあるのではないかと思います。


信じ込んでしまったら、あとは自分の良いように勝手な想像をふくらませてしまう。


それが良い出会いであるならばいいですが、悪意ある相手ならば、巧みに相手から共感を引き出そうとアプローチしてくるでしょう。


まだ見ぬ敵はいつでも卑怯でズル賢く自分よりも数枚上手だという認識をもつ事も、必要であるかもしれません。


科学技術の進歩で便利になる一方、今までよりもさらに人間力というものが重要になってきたのではないかと思います。


それは、あらゆる物のスピード化についてゆく為の身体的能力がますます必要であったり、速い思考や決断が必要であったり、正しい情報を拾い上げ有益につなげると同時に、身に迫るリスクや危険を回避する判断力であったりするのではないかと思います。


これらはつまり、勘や直感力と言われる、「判断力」に影響を与えるものや、「精神力」いうものです。

いにしえの力を呼び覚ます



今のように頼るべき科学の力が無い古い時代には、人間は今よりもはるかに自分の体と精神とさらには、神々を信じようとし、その力で危険や苦難を乗り越えてきていたのではないでしょうか。


現代人よりもはるかに精神的であり直感的に物事を判断する事も日常茶飯事であったように思います。


もちろん論理的な判断もしていたでしょうが、大自然の中で生き「第六感」が自然と磨かれるような生活を過ごしていたはずです。


現代人がもう忘れ去りつつある力、それら自分たちの祖先が持っていた力をまた呼び起こす事が必要になってくるのではないでしょうか。


退化するのではなく失った力を取り戻すのです。


いくら科学が進歩しても、人間は精神を重んじることを忘れてはいけないのではないでしょうか。


今、実際にメディアや書籍などで自己啓発の情報が取り沙汰される事が多くなってきたのはみなさんご存知の事でしょう。


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