類は友を呼ぶ


類友の法則はご存知でしょう。同じような考えを持った者同士が、同じ所に集まってくる。


人は、自分がこの場所にはふさわしくないと思いつつも、全てを振り返ってみればその場に似かよったものを自分が持っていたりするものだと思います。「こんな所イヤだ!」と現状を否定したい気持ちになったりしても、ホントは自分との共通点が見え隠れしてるものではないでしょうか?

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自分で歩いてきた場所



それは、表面だけじゃ分からないことも多いようです。些細な事ですが、例えて言うと同じ職場なんかで「この人とは話も合わないし、それに偉そうだし嫌いだな」とずっと思っていたとします。


けど、ある時なにかの拍子に「えっ!この人って私と下の名前が同じじゃん!」(職場により知り得ない時もアリ)とか、自分と誕生日が同じであったりとか、実は、ある物事に対してのこだわりが共通していたり、両親の出身地が同じだったりとかけっこうあるかもしれません。


わずかでもその事を意識し親近感を覚えたりすると思います。相手にもその事を打ち明けると、相手も多少なりそれを自分との共通点として意識したりすると思います。


あまりそういった事を気にしない人は、そういった話にまで行き着くこともなかったりするでしょうが、そういった「縁」と呼ばれるようなものはけっこうあるものです。あるどころか多かったりします。自分が知らないだけで・・・ 


たんなる偶然と片付けてしまえばそれで終わりますけどね。


運命なんて決まってなんかいないと自分自身で道を切り開いて行こうとする考え方を持ったとき、このように何か運命のようなものに仕組まれたような事というのは、何もかもが縁によって導かれ決まっているのかと錯覚する事があるかもしれません。


けど、たいていほとんどの場合、自分がもうすでに忘れているような一瞬の判断や自分の決断が自分をその方向へと進めて行った結果のはずです。

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必然的な場所



特に意識していなくても、潜在意識の総合的な判断のもと、自分と共通点のある似通った場所に無意識的に引き寄せられて来ているのです。無意識も自分の思考の結果が作り上げているので、ある意味自分自身が望んだ場所だと言えます。


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